にちにちこれこうにち①ペンギン村思想

最近のコト

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写真は、埼玉近代美術館の野外ベンチ。内容と一切関係ない。

 

来年度どうしてもどうしてもやりたくない仕事が待ち構えていることを暇がありゃ恐れまくり、現在の職場から逃げたくて逃げたくて仕方がない。

そして人間関係もかなり悪い。私自身直接関わりないが、職場の色んな場所にブラックホールが存在していて、かわしながら働くってとってもストレスがたまる。

 

ただ、このつらい状況下でかなり自分に言い聞かせて自分を変えていっていることがある。

 

 どんなに合わなさそうな社員でもとりあえず「面白がる」こと。

少しでも面白いことが起こったり、言ってくれたりしたら屈託なく笑わせてもらう、好意をもつ。

 

元来引きこもり&超文系&サブカルくそ女育ちの私にとって最も苦手なのは体育系、チャラ系。そんな方々が現在の職場で陣地を増やしつつある。当初は本当に病んだ。しかしそれって相手を見下すことで自分のバランス取ろうとしていない?と赤面しながら気づいたその日から改めることにした。

 

悪戦苦闘する日々の中、そんな意識を更に高めてくれる記事に出会った。

 

gendai.ismedia.jp

 

ここ最近の私はこの記事の内容に救われて生きていると言っても過言ではない。

一番共感したのはここである。

 

——爪さんは父親からの暴力などの壮絶な経験をされていますが、『働きアリに花束を』に書かれている限りでは、仕事上の人間関係は良好な感じがします。おそらく人とかかわることはそんなに嫌いではないですよね。

爪:嫌いじゃないですね。だって普通の人は親父みたいに殴ってこないので、それだけで話しやすいですよね。幼少時代、心がしんどかったときに一番ピンと来たのが『Dr.スランプアラレちゃん』のペンギン村の世界観だったんです。

 

ああいう、スッパマンみたいなのがいて……スッパマンってヤバいじゃないですか。正義の味方になれるって言って、みんなの見ている前で電話ボックスに入って変装したりして。でも、ペンギン村の人たちは優しいから、全部わかってて、何も言わないんですよね。

——言わないですね。

爪:スッパマンにも名古屋弁を話すエイリアンのニコちゃん大王にも「村から出ていけ」とか誰も言わない。その適当でやさしい世界観がすごく好きで。だから、人を観察していてダメなところを発見しても悪い印象を持たない。逆に、違うところを発見したら、それがその人の長所だと考える。

 

 

 そう。すべてペンギン村と思えればいいのに。

たしかにペンギン村はみんなハチャメチャなんだけど全体的にほんわかしていて平和といえば平和。こういう世界観の漫画を「ユートピア漫画」って言うんだよね?

 

職場にどんなにやばい奴がいても、そいつを変えることはできない。これはみんなそう言うよね。とてもよく聞く話だから9割5分そうなんだと思う。

 

だからこそペンギン村思想である。

ヤバい奴を面白がれ。放っておきながら、近寄ってきたら面白がれ。

これがね、本当に嫌いな奴だとなっかなかできないんだけど。この爪切男さんは数多の労働経験によってそれができる能力を知らない間に身に着けたのだと思う。

 

彼のことが気になり、書籍を購入してしまった。

現在読み進めているところ。

 

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この写真も埼玉近代美術館。内容と全然関係ない。

大豆田とわ子と三人の元夫 第4話


www.youtube.com

 

大豆田とわ子と三人の元夫に夢中である。

坂元さんの脚本というのははっきり言って癖があるし、その癖が苦手な人がいても納得できる。あの無駄に重い雰囲気、臭いセリフ、ちょいポエミーな言い回し、人間ってそんなこと急に言い出す?という疑問も湧くのだが、なんだかんだ言ってほとんど追いかけてしまっている私は結局のところ半、信者かもしれない。

 

特に松たか子との相性の良さと言ったら無い。カルテットというドラマはメンバー4人ともべらぼうに演技が上手かったからあんまりわからなかったけど、あれは松さんの顔変化を楽しむドラマだったんだなと後から気が付いた。

 

一番カルテットで刺さった演技は、満島ひかり演じるすずめちゃんと、吉岡里帆演じるアリスちゃんが揉み合ってテレコが落下し、盗聴がバレるシーンだ。

 

盗聴されていた、驚きと悲しみ。そこからの理由を察するまでの表情の変化。松さんはおそらくあの時、他の誰も成しえない演技をしていた。さらに言うと、褒めすぎかもしれないが、坂元裕二のクセある脚本が、臭いセリフが、松さんの人柄でしっかり説得力を持って不自然さを消しているとさえ思う。

 

大豆田とわ子に関しては、私は個人的にカルテットの10倍好きだと思う。

坂元裕二の脚本から、重さを引いて、素晴らしい加減のユーモアが加算されていて。初めて見たときはビビった。クオリティの高さに。そして2話目をみたときはいい意味で鳥肌が立った。このドラマは隔週でエンディングの歌い手と映像を作り変えているらしい・・・どれだけ手をかけているのか。

 

ただそれはどれも表面的なことではあったのだが昨日放送された第4話で、とわ子の友人の綿来かごめのことが掘り下げられて一気に深いとことまで刺されてしまった。簡単に言うとこのドラマを見ていて初めて涙が流れた。

 

琴線に触れたのは最後の方。脚本の坂元さんの言いたいことが伝わってきたから。そこに触れてくれる心意気と、「拾い上げてくれる」繊細さに大粒の涙がこぼれた。

 

かごめは漫画家を目指すという。

賛同し手伝いたいというとわ子に対し、「これは私のソロプロジェクト」と断る。

かごめの「あなたは社長ができている、私とは違う」という主張に対し「でも私だってツライよ」というとわ子。「ツライ」という一言は本当に、本当によくわかる。社会に出て働き続けている人々はみなとても自分が「楽しくよくできている」とは思っていない。日々つらい。いやなことばかりで正直ギリギリ。とわ子の辛さはここまでの3話分で視聴者に伝わっている。

かごめはそれでもなお言う。「でもできてる。それはとてもすごいことだよ。いるといないじゃ大違い。あなたがいるだけで、小さい女の子が私も社長ができるかもってイメージができるんだよ」

 

ここ最近のドラマでは珍しく「勝ち組」ポジの「女社長」を主演に設置した疑問が解ける瞬間である。このコロナ禍、皆が本来手にできていたものよりも我慢して生きている。そんな中で、かなり共感の得づらい「社長」、「おんな社長」の主役。坂元さんはイメージしてほしいのだ。これだってあり得ることだと。望める、楽しい日々だと。そして疲れて帰ってきた人に対して、長い連休を終えて会社に行くのが嫌でたまらない人に対して、これまでのドラマでやりがちだった「重たい描写」はガッツリ省く。暗くしない。とわ子の抱くかごめへの友情という器の中で、かごめの告白は続く。

 

「五条さんのことは残念だったと思うよ。でもね、恋愛がいらない。それがとことん自分なんだよ」

このシーンを見て涙した人は多いと思う。「皆が普通にできることができない、ピンとこない」そんなかごめと同じような感覚を抱きながら生きている人は皆泣いたのでは。

私の友人にも、恋愛がピンと来なくて若い時期は戸惑いながら婚活をしたりして苦しんでいた人がいる。今は淡々と独身生活を送っているが、10年前の苦しさと言ったら無かったと思う。

 

まわりに理解されにくいことを実践しながら生きていくというのは、つらい。でも、無理をしてそこを我慢して取り繕ったら死にたいほどもっとツライ。だからそう、「それがとことん自分なんだよ」と表現するのが非常にわかるし、わかってくれてありがとうと思うのだ。

 

数か月前に評判になった光浦靖子さんのエッセイにも、「人が当たり前にできることができない人生だった」という内容があったと思う。あのエッセイがあれだけ人の心を打ったのは、多様性が認められつつある中「私のこの感覚はどうなの?」とモヤモヤを抱きながら生きてきた人の心にフィットしたからだろう。この人々のことを10年前なら世間は「不器用」、「負け犬」と表現していた。

 

その評価っておかしくない?

こんなに魅力的なイチ人間なのですが?

ということを坂元さんは「かごめ」を通してまざまざと見せつけてくる。

そんなことを表現してくれる作品が今までなかったから、びっくりしてたくさん泣いてしまったのだよ。